無尽灯

医療&介護のコンサルティング会社・一般社団法人ロングライフサポート協会代表理事 清原 晃のブログ
高齢社会、貧困、子育て支援などの様々な社会課題が顕在化しつつあります。このような地域社会の課題解決に向けて家族に代わる「新しい身寄り社会」を創造する取り組みとして、2011年から①身元引受サービス②高齢者住宅低価格モデルの開発③中小零細高齢者住宅事業支援サービスを掲げた「ソーシャルビジネス」にチャレンジしています。

2014年10月

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関係医学会も打ち出した終末期の「脱延命治療路線」■次いで、老人医療に関わる医師たちの関係学会が、こうした動きを捉えて新しい指針を打ち出してきた。

■日本老年医学会は2012年1月に「立場表明」を改訂し、「(胃瘻造設を含む)経管栄養や、気管切開、人工呼吸器装着などの適応は、慎重に検討されるべきである。すなわち、何らかの治療が、患者本人の尊厳を損なったり苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮すべきである」と新たな立場を発表した。

「(胃瘻など)高度医療の投入は必ずしも最善の選択肢ではない」という思い切った路線転換である。

■日本透析医学会も2013年1月に、終末期の患者家族が希望すれば透析の中止や開始の見合わせを可能とする提言をまとめた。

■また、昨年8月に首相に提出された「社会保障制度改革国民会議」の報告書でも、死について言及している。国の審議会が死に触れたのは初めてのこと。

■ 「医療のあり方については、医療提供者の側だけでなく、医療を受ける国民の側がどう考え、何を求めているかが大きな要素となっている。超高齢社会に見合った『地域全体で治し・支える医療』の射程には、その時が来たらより納得し満足できる最期を迎えることのできるように支援すること――すなわち死すべき運命にある人間の尊厳ある死を視野に入れた『QOD(クォリティ・オブ・デス=死の質)を高める医療』――も入ってこよう」と、QOL(生活の質)と並ぶQODという新しい視点を指摘した。

■さらに「病院完結型」の医療から「地域完結型」の医療への転換には「高齢者が病院外で診療や介護を受けることができる体制整備が必要」と説く。

■ 「納得し満足のできる最期」を死のあるべき姿であると記し、そのためには「脱病院」が必要と記した。画期的な提言である。

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延命治療で「安らかな死」は迎えられない本人・家族の間で増える“病院離れ”

ここ最近、病院で最期を迎えたくない本人や家族が増えて来ている。病院は治療の場であるから、少しでも長く生きながらせようと病名を付けて治療にあたる。口から食べられなくなると胃に穴を開けて栄養剤を流す。胃瘻(いろう)である。呼吸が難しくなると人工呼吸器の装着や気管切開を施し、酸素不足に陥ると酸素吸入器を取り付け、腎臓が不活発になると人工透析で対応する。いずれも延命治療と言われる医療法である。

■胃瘻の造設者は42万人ともいわれる。欧米ではほとんど見られない。日本だけ突出している。欧米では、「もう一度口から食事が摂れる可能性があるときしか胃瘻を作らない」とよく聞かされる。

延命治療を施すと、安らかな死を迎えられなくなるのは医学の常識だという。脳内モルヒネと言われるβエンドルフィンが放出されなくなるからだ。自然死であれば、その「幸せ感」効果で極めて平穏に亡くなることができるという。

■QOL(生活の質)も延命治療で損なわれる。体が受けつけない栄養分や水分を無理やり注入すると、心身に異変が生じるのは当然。その最期は醜く「溺れ死」と表現する医師もいる。

■親や祖父母が病院のベッドで胃瘻を含め様々なチューブでつながれたまま息を引き取る姿を見て、「可哀そう」「無残な姿で忍びない」と思う家族は多い。

■「昔は穏やかな看取りができたのに」「自然な死に方があるはず」という声が病院死に接した家族から広がりつつある。「次は病院に連れて来たくない」と決心して病院離れが徐々に進行している。

■胃瘻への反発はその典型例だろう。「病院が施す当然の医療行為」と見られていたが「実は延命治療」と認識され出し、病院死そのものへの疑問につながる。「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一著)、「平穏死のすすめ」(石飛幸三著)など「終末期に病院治療は不要」と断じる医師たちの著作がベストセラーとなったのは、意識変化が患者家族に止まらない表れだ。

■自宅や集合住宅に積極的に訪問する診療所の医師の活動が盛んになり、市民の間に在宅医療への理解が深まりつつあることも病院離れを加速させている。

■ 「大病院信仰――どこまで続けますか」の著者、長尾和宏医師は「大病院は専門医だらけ。そんなに沢山いらない」と記し、大病院のあり方に疑問を呈す。尼崎市で町医者として多くの看取りを経験してきた。総合的な診療とは程遠い大病院と比較した医療者の発言は重い。

■また、首都圏で診療所をチェーン展開する佐々木淳医師の著書は「点滴はもういらない」。「病院で医療によって管理される死は自然なのだろうか」と問いただす。
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<前回に続く> 

■だが、在宅サービスの充実だけでは病院死は減らない。病院死を好まない終末期の考え方や死生観が欠かせない。では、日本は欧州と違って、なぜ、医療施設で亡くなる比率が高いのだろうか。それも突出して高い。理由は3つありそうだ。

一つは、高度経済成長によって日々の暮らしのあり様が大きく変わってしまったことが上げられる。三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、掃除機)と3C(カラーテレビ、マイカー、クーラー)の普及、それに続く電子レンジ、食器洗い機など家電製品の浸透や新幹線の延伸、地方空港の増設などがどっと押し寄せ、ライフスタイルを一変させた。手仕事の家事に割く時間と関心が一挙に遠のいてしまった。「面倒なこと」「時間がかかること」は便利な家電製品や調理済み食品、様々なサービスに代替させることができる。

■出産や看取りについても、病院や診療所が次々開設されてくると、その利用頻度が高まり依存体質が染み付いていく。家族の「死に際」は、病気の延長と捉えて病院暮らしを最適な選択と思うようになる。面倒な自宅死よりも、「最期まで治療を続けた」という安堵感を家族にもたらし、医療への傾斜が強くなった。

■ 「病気の治療に精一杯尽くし、結果としての死」という思い込みが医療側に強く、国民も「病院でも力及ばずなら仕方ない」と、病院死を良しとする考えが浸透した。これを後押ししたのは医療や医師への日本独特の強い「信仰心」である。「お任せ医療」の帰結が、医療信仰をもたらした。

もうひとつの理由は費用である。

■1970年代初めに、東京都の美濃部知事と大阪府の黒田知事が相次いで、老人医療費の窓口負担をゼロにした。高度成長期の豊かな税収を老人に回した施策だった。それを受けて田中内閣が追随し、70歳以上の老人医療費の無料化に踏み切る。通院が容易になり、病院がより身近な存在になった。

■この無料化策は1983年の老人保健法の登場まで続いたが、その後厚労省は「医療費は安いものという考えを根付かせてしまった」と明らかな拙策と認めている。 

3つ目の要因は、「命は長いほどいい」という医療教育での考え方が、医師を通じて広まったことだ。心身の障害にはすべて病名を張り付け、その治療に取り組むのが医師の仕事と教育を受ける。患者や家族も病名を告げられれば、医療機関で治療を目指すという思考回路に陥ってしまう。ここから、本人には辛い過度な延命治療が始まる。

■出産と死は病気ではない。暮らしの中で普通に起きることだ。病院は病気の治療の場であり、暮らしの場ではない。生物は必ず死ぬ。死の原因は、老齢や老衰によるのが普通とされていた。だが、日本ではその概念が消えかかってしまった。

■欧米諸国では「自分で食事を摂ることができなくなった時が死へのプロセスの始まり」という見方が国民的合意となっている。「終末期の点滴は心臓に負担をかけて苦しめるだけ」と、延命治療を否定する。日本とは天と地ほどの違いだ。この違いは決定的である。時には、医師の判断で延命治療を拒絶することもあるという。社会の常識が優先されるからだ。

■この3つの要因によって、病院への依存体質を多くの日本人が受け入れてしまったようだ。だが、この潮流に逆行する大きな変化が各方面から現れてきた。

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浅川澄一氏 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)] の医療大転換介護の【第12回】 2014年10月15日に 下記の記事が掲載されました。脱病院路線の転換が急がれます。
御紹介しておきます。
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約8割が病院で亡くなる現状から“脱病院”路線へ
変わりはじめた日本人の「死に方」

■これまでこの4月から始まった医療改革と来年4月からの介護改革について述べてきたこの連載。前回は、これからの日本においてケア付きの“終の住処”の主役となることが望まれる「サービス付き高齢者向け住宅」の実態について紹介した。

■医療と介護の実践の場で最も重要な課題は、「死に時」の見極めだろう。死に場所の選択でもある。医療と介護の最終着地点は死であり、そのイメージを事前に把握しておかないと、医療も介護もスタートできないはず。ところが、日本人は死についての自己決定を躊躇し避け、家族や医師に委ねてしまいがちだ。

■死をきちんと見据えるには、死に関わる、あるいは死を取り巻く状況を検分しておかねばならない。

日本人の5人に4人は病院死病院死亡率が高い3つの要因

■日本人の80%近くが病院で亡くなる。欧州諸国では病院での死亡者は格段に少なく50%前後に過ぎない。

■病院死はフランスで58.1%、スウェーデンで42.0%、イギリス54.0%、アメリカ56.0%。中には35.5%と最も低いオランダのような国もある。これに対して、日本では1950年代から病院と診療所での死亡率が急ピッチで毎年増え続けてきた。1976年に自宅死亡率を初めて上回り、2005年には82.4%に達した。

■医療施設でない死に場所は自宅と介護施設である。欧州では北欧を中心に「施設の集合住宅への転換」が急速に進んでおり、集合住宅で介護サービスを受けている人の病院死が少ないということは、この在宅介護サービスと在宅医療が充実している証しでもある。病院や施設の外で医療や介護サービスが十分に整備されていてこそ、病院死を抑制することができる。

■欧州で病院死が少ないという事実は、それに見合う在宅サービスが行き渡っていることを表わしている。日本で掲げられた「地域包括ケアシステム」が先行していると見ていい。

<次回に続く>

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図1 厚労省が提示した、訪問介護と定期巡回・随時対応型訪問介護看護に関する報酬・基準の主な改定案
介護報酬改定 

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