<前回に続く>

残されたさほど長くない年月を「好きなように生きる」知恵とは?

 「禍(わざわい)の最たるは足るを知らざるなり」……。最大の不幸は「これでいい」と満足できないこと。逆から言えば、「足るを知る」、「これでいい」と満足できることが幸せの基本なのです。

 そんなシンプル・ライフにあっても、日々の暮らしのいろいろな場面で、ささやかな喜びは感じられます。

たとえば、あかね色に染まる夕焼け空を眺めるとき、家のそばの路地で野良猫と遊ぶとき、道路の舗装のすきまから「雑草」と十把一絡げにされる草が名も知れない可憐な花を咲かせているのに気付くとき、喫茶店やファミレスの窓から桜の花が咲いて、やがては散り、若葉が芽生え濃緑に移りゆくさまを眺めているとき、内容の深い本に出合ったとき、部屋でお茶を飲みながら聴き慣れた音楽を聴いているときなど……。人生の幸せはこんなささやかなものの積み重ねかもしれない、「足るを知る」とはこういう心境かもしれない。こんなふうに思えるのも年を取ったからこそであるなら、老いるのも悪くはありません。

 「足るを知る」とは、何もかもじっと我慢する生き方ではありません。むしろ逆に、人生に残されたさほど長くない年月を「好きなように生きる」ための知恵でもあります。

 たとえば、事業の発展のため、収入を増やすために、好きでもない人とにこやかに付き合い、無理して人脈を広げる必要はないのです。付き合って楽しい人とだけ付き合えばいい。

 スキルアップのため、出世のため、知名度を上げるために、好きでもない仕事に打ち込む必要もないのです。心からやりがいのある仕事だけすればいいのです。

 社会の反応を気にして、世間の空気を読んで、言いたいことも言わずに我慢する必要もありません。正しいと思うことは正しいと、間違っていると思うことは間違っていると、心おきなく発言していいのです。

 こんなふうに好きなように生きて、そのために収入が減ったなら、減った収入の中の「足るを知る」工夫をすればいいのです。まして、孤独死を意識するほどの年齢になれば、未来への投資のために現在を犠牲にする必要はないのです。

 あるいはまた、孤独死を意識するほどの年齢になってまで、健康のために好きなことを我慢する必要もありません。

 人生の楽しみの中には、健康に良くないものもたくさんあります。タバコ、酒、美食などがその代表でしょうか。しかし、今さら健康に気を配る必要はないでしょう。好きなことをして寿命が1年くらい縮むか、好きなことを我慢して寿命が1年くらい伸びるか、どちらを選んでもいいのです。

ましてや孤独死予備軍である一人暮らしの身であれば、「そんなこと、体に毒よ」とお節介なことを言う家族もいないのですから。

    *  *   *   *   *

 3回にわたり孤独死について、そして老後の一人暮らしについて語りました。いかがでしょう? 孤独死も少しばかりは良いものだと分かっていただけたでしょうか?……いや、人が死ぬ話だから「良い」とは言えませんね。それでも孤独死もけっして悪くはない、と思えたのではないかと思います。