<前回に続く>
今も自由に動き回るが、スピードはゆっくりに
冒頭に紹介した患者さんですが、前医では両手・両足・体幹の抑制を受けていましたので動きが想像できます。当院入院時は、拘束を受けていたため歩行困難な状態でしたが、車椅子に離床させ様子を観察していると、立ち上がったり、ずり落ちたりなど、一時も落ち着いた状態がとれませんでした。3日目には歩き出し、アッという間に動きが激しくなりました。
一日中、食事の時ですら、早足で激しく動き回っていました。スタッフはずーっと付き添いました。これを繰り返すうちに、患者さんの行動パターンが分かってきました。そして自由に病棟内を動けるように解放することで、少しずつ落ち着いてきました。
今も自由に動き回っていますが、スピードはゆっくりとなり、危険行動がなくなって、スタッフの付き添いも不要となりました。結果、ご家族の安心と笑顔に出会えました。
もちろん、ハード的な面でも対応できているのです。病棟は閉鎖病棟となっていますから、自由に外に出ていくことはありません。それから、病棟の端から端まで70mほどの距離があり、廊下の幅も広いので、開放感の感じられる空間の中を歩き回ることができるのです(写真1)。ソフト面では病棟スタッフが我慢強く見守り続けているのは、言うまでもありません。
最後に、最近、瓦井事務局長が院内の新聞に書いた言葉を紹介します。
「危険を防止するために拘束するというのは、かなり過剰な安全意識と言わざるを得ません。ましてや看護師や介護士の不足から、手が足りないから拘束をする、なんてことは絶対にあってはならない」(別掲記事)。
*次回は「借用書を書いて」と頼む患者さんと看護師の関係についてです。
手が足りないから拘束をする、なんてことは絶対にあってはならない
ご存知のように、老人保健施設や一般の精神科病院でも認知症患者の数がかなりの勢いで増えてきています。確かに医療や看護・介護を行う側からいえば、認知症患者は通常の倍以上の手がかかります。例えば、老齢な患者の歩行転倒骨折事故、普通のいすや車椅子からの立ち上がりの際の転倒骨折事故など、通常の入院生活では考えられないくらい、常に危険がいっぱいなのです。
だからと言って、その危険を防止するために拘束するというのは、かなり過剰な安全意識と言わざるを得ません。ましてや看護師や介護士の不足から、手が足りないから拘束をする、なんてことは絶対にあってはならないのです。
「拘束をされ、オムツをあてがわれ、導尿されたりする患者は、人としての自尊心までズタズタになってしまう」のは当たり前です。認知症患者も全く同じなのです。
心に不安があるから嫌がるし、その嫌がることを医療者側がやればさらに混乱し、興奮し、時には暴力的になってしまうことさえあります。さらにその暴力を防ぐ理由で拘束すれば、不安は怒りに代わり、拘束を続ければ、その人の感情や感性そのものを破壊してしまいかねません。だからこそ当院は「拘束をしない」ことを第一の理念に挙げているのです。
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