プロフィール 米国だけで数百万人いる
今年1月17日に英国で「孤独担当大臣」が誕生したニュースは、「社会的孤立」(家族や地域との関係が希薄で、他人との交流がほとんどない状態)の問題が、日本だけでなく先進諸国でも同様に拡大していることを改めて示した。
日本では近年、孤独死のような分かりやすいケースにとどまらず、介護や育児における閉塞感やストレスの深刻化についても、その背景に家族や地域などの基礎的なコミュニティの衰退がある、といった文脈で語られることが多くなった。
ありとあらゆる場面で「自己責任論」が叫ばれる風潮に象徴されるように、「社会で生じたリスクを個人が処理しなければならない」不条理な時代へと移行するにつれて、「心の平安」を保つことを可能にする「ベース」(根拠地)となり、「シェルター」(避難所)となり得るコミュニティの必要性が高まっている。
しかしながら、現代におけるコミュニティ再生とは、政治学者の齋藤純一が述べているように、「成長によって社会的矛盾を吸収したり、緩和したりすることがほとんど望めなくなった条件のもとでのコミュニティ再生」(*1)でしかあり得ない。
しかもそれは、社会福祉や公的扶助など一律に権利が付与されている社会保障とは異なり、DIY(Do It Yourselfの略、「自分自身でやる」の意)的な創意工夫を求められる厄介な作業となるだろう。
筆者は、以上のような悩ましい現状認識を踏まえながら、家族から会社までを含む広義のコミュニティの現在と未来について、ミクロなレベルの動きに目を向けつつ模索しようと考えている。いわば「コミュニティの再検討」だ。「広義のコミュニティ」という言葉が分かりにくければ、「仲間意識に支えられた人的ネットワーク」と言い換えても良い。
「プレッパー」とは、自然災害や経済危機などで文明社会が機能しなくなるカタストロフィ(破局的な事象)に対処するため、物資の備蓄や避難訓練などに日常的に取り組んでいるサバイバリスト(生存主義者)だ。中央政府や地方政府といった公的支援を当てにすることなく、自分たちの力だけで生き延びることを信条としている。
米国だけでも数百万人のプレッパーがいるとされており、自給自足で生活するための農場と家畜を所有していたり、自宅の地下を核シェルターに改造していたりする。また防犯対策として、プロのインストラクターから銃器の取扱いや護身術を習っている例も少なくない。
残念なことに日本では、「健康寿命の延伸」という介護・医療費の抑制を目的とする行政的要請から、地域ごとの「支え合い」を求めるような後ろ向きの姿勢が強い。それは昨今の自治会・町内会でも同じことが言える。
多くの地域で活動が低調になっているにも関わらず、「集金」や「労働力の駆り出し」といったメンバーへの負担を強いる仕組みはそのままで、住民のニーズとかけ離れた時代遅れの慣習に固執している。
「サバイバル」と「町内会」の二極化
そのような段階に至ると、恐らくプレッパーのようなできる限り外部のシステムに依存しない自律的なコミュニティと、先の自治会に典型的な行政の下請けのような他律的なコミュニティに二極分化していくことが予想される。いずれにせよ、わたしたちは選択を迫られる。
自分にとって居心地の良いコミュニティの重層的な関係性から、「心の平安」という恩恵を享受できることは誰もが了解できる共通認識であると思われる。それゆえ、〝お上〟が「あるべき地域社会」での役割を押し付けるような参加の強制も、「個人化」に伴う困難から通常の社会生活が営めなくなるような最悪の事態も避けたいはずだ。
そうであるならば、自衛の手段としてのコミュニティの可能性を見極めつつ、家族、企業、地域、宗教などの個別カテゴリーの今後について、わたしたちはもっと思考を深めていくべきではないだろうか。
コミュニティの衰退について無関心を決め込むことは、わたしたちが国家と市場からの直接的なダメージにさらされることを甘受し、結局のところ自分自身の首を絞めることにしかならないからである。
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