養護施設では年間3万人が卒園をすると聞いたことがあります。多くは仕事に就くのですが、どうしても社会になじめずに仕事を転々とし、生活保護になるケースも多いと聞きます。この人たちも「みより」が必要な方々です。
何とか、介護の仕事についてもらい、一緒に高齢者との「みより社会」を作りたいと考えています。みよりの薄い者たちが寄り添い、新しいコミュニティを作る試みもあってよいのではないかと思います。
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2018/3/13 05:30神戸新聞NEXT
「生きている、それだけで尊い」ことを伝えたい

児童養護施設「尼崎市尼崎学園」(神戸市北区)。副園長の鈴木まやは、20年以上、卒園生を見送ってきた。

 働いたり、家庭を持ったりし、社会の中で生きられている子たちがいる。その姿や便りにほっとする。同時に頭に浮かぶことがある。卒園せずに尼学を離れ、連絡が取れなくなった子たちだ。

 家庭環境が十分に整わないまま、家に帰った子。よその施設に移った子。最終判断は児童相談所が行うが、懸念が消えない。「本当に帰してよかったのか」「施設としてもっとできたことがあるのではないか」「今は、どうしているのか」

 近隣で起きた事件や事故、自殺のニュースを聞く度、心がざわつく。被害者、加害者、当事者。「知ってる子ではないか」。実際、何度も悲しい思いをした。ただ、その死を知らせてくれる友人がいる。その時だけ、思える。「孤独死じゃなかった。ちゃんと人とつながって、人の中で生きていた」

 怖さをいつも感じている。子どもが抱えるしんどさに何もできない無力感も。逃げたいと思ったことは「何度も何度も何度も」あった。でも、続けてきた。

 2年前は朝ご飯を食べられず、遅刻ばかりしていた子が、嫌いなものを食べられるようになった。泣くことしかできなかった子が、言葉で感情を表現できるようになった。ふとした時に気付く、小さな成長。それが再び足を踏み出す力になっている。

 鈴木が言う。この子たちは、選んでここに来たのではない。自分と違い、どんなにしんどくても、やめることはできない。厳しい環境の中を生き抜いてきて、今も生きようとしている。それだけで尊いのだと伝えたい。

 「だから、私がこの世界をやめることはないです」(敬称略)

(記事・岡西篤志、土井秀人、小谷千穂、写真・三津山朋彦)