臨床宗教師という言葉があるのですね。医療機関や福祉施設、大災害の被災地などで、終末期の人々の心のケアを行う宗教者のことを指すようです。孤独死という言葉が一般化する社会で、人生最後の場を迎えるに当たり、救いを何に求めるか、はやり人間には導師が必要なのでしょうか。その中に注目すべき一文があります。
「死の恐怖をなくすためには、死後の世界の有無を含め、自分に都合の良い死後の状態を設定し、信じることが重要だとの主張は興味深い」
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<東北の本棚>死との向き合い方示唆
河北新報2019.1.27
 ◎人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる 谷山洋三 著
全ての生物と同様に、人間は死を避けることができない。死への不安や恐怖、死別の悲しみや後悔を抱えている人は多いはずだ。著書は「臨床宗教師」として多くの死に立ち会ってきた。本書は、その経験を基に、自分や身近な人の死と向き合うためのヒントを紹介する。

 臨床宗教師とは、医療機関や福祉施設、大災害の被災地などで、終末期の人々の心のケアを行う宗教者のことだ。特定の宗教に偏らず、布教を目的としないのが特徴だという。

本書はまず、自分の死について考える。死と向き合うことは自分と向き合うことで、自分を見つめるもう一人の自己を持つべきだと説く。死の恐怖をなくすためには、死後の世界の有無を含め、自分に都合の良い死後の状態を設定し、信じることが重要だとの主張は興味深い。