まず、「自助や共助では無く、公助を行き渡らせる」というリーダーシップは望みたい、同感です。菅総理大臣が目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」という言葉は、本来は災害の場面で使われるという指摘がある。つまり、災害発生から行政が間に入るまでの数時間から数日間を生き延びるために行うのが「自助、共助」であり、それは最終的に公助につなぐための一時的な状況に過ぎないのというのである。それを菅新首相が社会像として標榜することに政治家としての優先順位がどこにあるのかを表すものであり、それを実現しようとする自民党ではこの社会は変えられない。
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新首相の目指す理念が「〝自助、共助、公助〟、そして〝絆〟」という虚無
論座2020.9.16
菅総理大臣は「安倍政権を継承する」と言っているので、菅政権の下ではこれまでどおり景気は上がらず、格差は拡大し、公文書は改竄や破棄が当たり前となり、公金は身内びいきで動いて、世界的にも日本の社会的地位は縮小していく。そんな安倍政権の暗部をそのまま引き継ぐこととなるだろう。要はまた「悪夢の自民党政権」が続くだけのことだ。

さて、菅総理大臣は目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」であると言っている。

 この「自助・共助・公助」という言葉、本来は災害の場面で使われる言葉である。まずは避難用具をそろえたり、津波などから自力で逃げて、避難所などの安全なところまで移動するのが自助、避難所などの集まりで、お互いに助け合うのが共助、そして最後に災害派遣や物資の支給などの消防や自衛隊などといった行政に頼るのが公助である。

 つまり、災害発生から行政が間に入るまでの数時間から数日間を生き延びるために行うのが「自助、共助」であり、それは最終的に公助につなぐための一時的な状況に過ぎないのである。
結局のところ、福祉国家を目指そうが夜警国家を目指そうが、いずれにしても民主主義国家である以上は政府の行うことは一貫して公助であり、我々市民は公助を受けながら生きているのである。それが民主主義国家に暮らすことの大前提なのである。我々は誰一人として公助の傘から抜けることはできないのである。

政治家であるならば、国民に対して自助や共助という役割を負わせてしまっていることを恥であると考えなければならない。自助や共助をせざるを得ない現実があるところに、いかに公助を行き渡らせるか。それこそが政治家の本分であるはずだ。