15日で終戦から76年経つ。送り盆にて先祖の霊をお見送りしながら、改めて慰霊について思いをはせる。
テレビで南洋の島に眠る30万柱の遺骨の収拾に今も執念を燃やす高齢のご遺族の姿を目の当たりにして、慰霊の重さを痛感する。

ご遺族も高齢化が進み、残された時間の中で何とか遺骨収集をし、慰霊を行いたいという切なる思いが伝わってくる。しかし、このご遺族が亡くなった後、恐らく多くの海外の遺骨はそのまま風化していくのであろう。

今日の日本を振り返るに、亡くなっても散骨を希望される方々もいる。又、ご親が亡くなってもご遺骨を受け取ることを拒否する子供もいる。

一体、日本はどうなってしまうのであろうか?今日自分の命があるのは綿々と続いてきた先祖の血の流れの延長上にある。自分の前に、何百、何千という先祖の方々の脈々たる営みとその継承があって、今日の自分がある。そう思うと先祖の霊を祭らざるを得ない。

そういう心境になるのも戦後生まれの遺物なのであろうか? しかし、過去を捨てて果たして未来はあるのであろうか? それとも未来そのものを放棄しているのであろうか?

色々な事が思いめぐらされる送り盆の行事であった。