無尽灯

医療&介護のコンサルティング会社・一般社団法人ロングライフサポート協会代表理事 清原 晃のブログ
高齢社会、貧困、子育て支援などの様々な社会課題が顕在化しつつあります。このような地域社会の課題解決に向けて家族に代わる「新しい身寄り社会」を創造する取り組みとして、2011年から①身元引受サービス②高齢者住宅低価格モデルの開発③中小零細高齢者住宅事業支援サービスを掲げた「ソーシャルビジネス」にチャレンジしています。

カテゴリ: 医療型高齢者住宅

以前から注目をされていた医療型高齢者住宅の「医心館」のアンビスホールディンが本日ジャスダック市場に上場し、公開価格を52.1%上回る価格がつきました。上々の滑り出しです。
住宅型有料老人ホームで医療と介護を融合させた難易度の高いビジネスモデルをここまで仕上げることができたことに敬意を表します。是非、これからも医療連携の取れた高齢者住宅の開発で市場を引っ張って頂きたいと思います。
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アンビスホールディン—本日IPO、初値4260円、公開価格を52.1%上回る 訪問看護・介護、医療施設型ホスピス
まぐまぐニュース!2019.10.9
 公開価格(2800円)を52.1%上回る4260円で初値を付けた。会社設立は16年10月3日。主な事業は、住宅型有料老人ホーム「医心館」施設での訪問看護や訪問介護のほか、居宅介護支援及び障害者支援等の各種サービスの提供と施設運営による医療施設型ホスピス事業。19年9月期の営業利益予想は前期比86.3%増の7.95億円。施設数の増加で利益が拡大する見通し。第3四半期累計の実績は6.00億円で、進捗率は75.5%となっている。
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府中市で府中北市民病院内にサービス付き高齢者向け住宅を開業する方針が示されました。病院内の活用されていない4階を整備してサ高住にするという画期的な取り組みです。昨日もある病院の活用していない病棟フロアーを拝見してきましたが、病院内には隠れ施設が埋もれています。是非、活用をしたいと考えています。高齢者住宅に転換できる大変な経営資源が病院には埋没しているのです。関心のある医療関係者は是非、お声をかけて下さい。
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47NEWS2019.3.14

地方独立行政法人府中市病院機構は、上下町の府中北市民病院内に整備するサービス付き高齢者向け住宅サ高住)を9月に開業する方針を示した。活用していない4階を整備し、単身用と夫婦を想定する2人部屋の計17室を設ける。

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【本ブログについてのお問い合わせ】

一般社団法人ロングライフサポート協会

TEL:050-3786-4790

E-mail:info@ll-support.jp

【一般社団法人ロングライフサポート協会について】

当協会は身元引受と法人コンサルの両面から高齢者の生活を支援する企業です。

身元引受は身寄りの無い方がご入居する際のサポート、葬儀サポート、金銭管理から、独居の方の電話による見守り業務まで幅広くおこなっております。

コンサルとしては、長年にわたる経験から、時代を先取りした”未来”をお届けするものです。介護報酬の改定やいろいろなリスクを勘案し、行政申請から内部監査、予算の見直しまで含めた総合的なものスポット的なものを取り揃えております。
高齢者支援サービスでお困りの際はロングライフサポート協会までお問い合わせください。

サポート協会URL:http://lls.sakura.ne.jp/
身寄りドットコム:http://miyori-support.com/

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<前回に続く>

家族にとっての最高と、本人にとっての最高は、果たして両立できるのか。家族の求めることは概ね同じだけれど、本人が求めることは個人差が大きい。自分で自分の最期の過ごし方を決める。それが可能になれば心穏やかにこの世との別れを迎えられる。

 「そのためには、自分の裁量で使えるお金をしっかり残しておくしかないですね。年をとったらまず家族と縁切りとだれかが言っていましたが、これからの時代、まさに豊かな老後はそこからなんでしょうね」

親を看取った最後の世代は、子どもに看取られない最初の世代となって高齢期を迎え、最期の時をどう過ごすかは自分が決める時代になりつつある。自分の築き上げたものは子どもに残さず一代限り。その覚悟を固めれば、それなりに費用もかかる慶友病院での最期も選択肢に入るかもしれない。最晩年を家族任せや医療任せにしないための気持ちの整理や資金の準備に、早すぎることはないのかも……そんな思いを抱きながら、遠く新宿の高層ビルが望める屋上に出てみた。

敷地内に同居するよみうりランドのジェットコースターから歓声が聞こえる。最初はゆっくりトロトロ、やがて一気に手に汗握る大冒険の絶叫が続くジェットコースターと、その中でさえ笑顔で手を振る人々が間近に見える。実験的試みに果敢に挑戦する大塚の姿と重なるようで、轟音と歓声に思わず手を振り返していた。

大塚宣夫(おおつか・のぶお)
1942年、岐阜県生まれ。大学卒業後、79年まで精神科医として病院勤務、その間、フランス政府給費留学生として2年間渡仏。80年、高齢者専門の療養型病院として青梅慶友病院を開設、2005年、よみうりランド慶友病院を開設。著書に『人生の最期は自分で決める』(ダイヤモンド)
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<前回に続く>

そのためには、まずは土地を手に入れる資金が必要だろう。そう思った大塚は、元手を作るために自らの生活を一新したという。

 「まず1000万円貯めようと決めました。そのためには全部我慢する。土日も別の病院でのアルバイトを入れ、それ以外はすべて当直。休みなし。着る物も白衣のみ。楽しみは貯金通帳見ることっていう生活です」

 その結果、2年で目標達成。それを元に、青梅近辺で土地探しを始めた。青梅はアルバイト先の病院があった縁と、土地が安かったから。そんなある日、不動産業者と知り合いの農協職員と相談中に、いきなり見知らぬ人が部屋を間違えて入ってきた。地元の農協の組合長だった。土地を探す目的を話すと、地主4人で1000坪の土地を何か有効活用したいと検討していたところだという。大塚はさっそく組合長の家を訪ねた。組合長は1000坪の土地を貸してくれた上に、病院を建てるための借入金の保証人にもなってくれたという。

 「何もない自分をなぜ見込んでくれたのか聞いたんですよ。夜の回診を終えては家に押しかける私に、奥さんがいつもご飯を出してくれたんです。とにかく腹ペコだからね。どうも奥さんが、あんなに食べっぷりのいい人は見たことがない。信用していいんじゃないかって言ってくれたみたいなんです」

豊かな老後のために何ができるか
 何が幸いするかわからないものだが、組合長もまた、自分の思いを懸命に話す若い勤務医にいつしか惚れこんでしまったのだろう。かくして80年に147床の青梅慶友病院が誕生。病床はすぐ満杯になり、3回も増築し、10年後には800床に増えていた。それだけ世の中に需要があったということである。

 「でも経営は火の車。組合長さんに、人助けだと思ってどんどん頑張れと言われているうちに、借金が32億にもなってしまった」

 必要以上に薬や治療を積み上げれば点数が稼げて収入が増える出来高払いの診療報酬制度の下では、大塚の理想とする方針では経営が苦しくなるのは見えている。10年間信念を曲げずに突き進んだ結果、借金まみれになった大塚を救ったのは、診療報酬に包括払いが導入されたこと。点滴や検査を抑え生活と介護に力を入れてきた大塚に、やっと医療保険からの援護が届くようになった。経営は安定し、増える需要に応えるためにより都心に近いよみうりランド内に2つ目の慶友病院が誕生。時代が、やっと追いついてきた。親に安心して最期の時を過ごしてもらいたいという思いで突き進んできた大塚も、今年73歳。

 「自分が高齢になって、家族が親にしてあげたい医療、介護と、本人が求めることとの間のギャップに気がつきました。家族は親が身ぎれいにして、3食食べて、お風呂も毎日入れる状態が親の幸せと思うけど、本人にしてみるとけっこう面倒くさいし疲れる。家族が持ってきてくれた食べ物をいっぱい食べて、帰った後で具合が悪くなったりする人もいる。旅立つ人のためにいちばんいいことは何なのか。そのためにやらなければならないことは何なのか。そのための仕組みをどうやってつくれるのか。これからの課題ですね」
<次回に続く>

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<前回に続く>

医師としての道を定める
 大塚は、慶応義塾大学医学部を卒業、同大学の精神神経科学教室から、派遣先の精神科の病院に11年間勤務し、フランス留学を経て医学博士号を取得している精神科の医師である。ライフワークとして取り組んでいる分野とは相当に隔たりがある。そもそも大塚がなぜ医学を志し、高齢者の医療と福祉をつなぐ分野に情熱を注ぐことになったのか。病院を創設すること、しかもそれまで世の中に存在しなかった新しい価値観の病院を生み出すことは、資金面も含めて想像を絶する困難があったのではないかと思われる。

 岐阜県の寒村の生まれで、両親はともに教師という家庭の6人兄弟の4番目。親は教育には熱心でも、決して資産家ではない。

 「3つ上の姉がジフテリアで死んで、両親には子どもを死なせた無念があって、子どもたちのだれかが医者になってほしいと願ってましてね。深い考えもなく親孝行のつもりで医学部に入っちゃった。入ってから、何で医学部を志したかと聞かれて困りました」

 入口は親孝行でも、出口の精神科は大塚自身が選んだことになるはず。

 「いや、それもまた動機が不純でしてね。医学部時代、競技スキーをやっていて、試合中に転倒して頸椎捻挫。以来ひどいむち打ち症に悩まされ、立ち仕事の外科はダメとか消去法で残ったのが精神科だったんです」

 そんな大塚に大きな転機を与えたのは、1974年5月の、高校時代の親友からの相談の電話だったという。脳卒中で寝たきりの祖母に認知症の症状が加わり家族での介護が限界に達して、どこか預かってくれるところがないかというSOS。

 「一緒に探しに行って見た光景に非常にショックを受けました。和室にびっしり布団を敷き詰め、お年寄りはただ転がされている状態でした。人手がないから風呂にも入れられない。清潔じゃないし、暗いし、とにかく臭いがすごい。それでも待機者が多くて、4、5カ月待たないと入れないというんです。それをきっかけに考えるようになりました。受け身と消去法で進んできた医療の世界で自分の役割が見えていなかったんですが、やるべきことが見つかった気がしました」

 きっと医者としての使命感、自らのアイデンティティーがほしかったんだと思う、と大塚はそっと付け加えた。

 74年は高齢化率が7パーセントを超えた頃にあたる。7パーセントを超えるとさまざまな問題が発生し始めるそうだが、世の中はまだその深刻さを認識していなかった。せめて自分の親が安心して暮らせる施設がほしい。今それがないなら自分で病院を造ろう。現状を目の当たりにした衝撃の中で、32歳の大塚は激しく思い立ってしまったのだ。

<次回に続く>
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