無尽灯

医療&介護のコンサルティング会社・一般社団法人ロングライフサポート協会代表理事 清原 晃のブログ
豊かな高齢者社会の構築に向けて、日々尽きることの無い気付き、出会いを綴って参ります。

カテゴリ: 一寸一息

最近よく聞く脊柱管狭窄症について、抜本的な治療は難しいと言われていますが、痛みを緩和する治療があるようです。多くの方が加齢に伴い発症するこの病気、痛みだけでも緩和ができれば良いです。関連する記事をご紹介します。
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介護ポストセブン2017.01.25 |ヘルス

「脊柱管狭窄症」の痛みを緩和!高齢者も注目の治療って?

 日本人の約1割が自覚症状としてあげているという「腰痛」。中でも、高齢者の腰痛の原因の多くを占めるのが「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」である。

大日本製薬が40歳以上を対象に行なった調査では、国内の患者数は240万人。そのうち、約70%は70歳以上であるという。また、70歳以上に限ってみると、女性患者が男性患者の2倍となり、高齢女性の多くが苦しんでいることがわかる。

 ペインクリニック学会の元会長であり、藤田保健衛生大学名誉教授でもある河西稔先生に、脊柱管狭窄症の痛みとどう向き合っていけばよいのか、最新治療を含めてうかがった。

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写真/アフロ

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脊柱管狭窄症の症状は坐骨神経痛と間欠性跛行が特徴

 脊柱管狭窄症の原因の多くは、加齢による骨の変形や、骨周囲の組織の変形や炎症にあります。特徴的な症状には、「坐骨神経痛」と「間欠性跛行(かんけつせいはこう)」が挙げられます。

 まず、坐骨神経痛ですが、脊髄の通り道である脊柱管が狭くなることによって神経が圧迫され、下半身のしびれや痛みが生まれるのです。坐骨神経痛の場所

 もうひとつの特徴的な症状「間欠性跛行」は、一定の時間歩くと足に痛みやしびれが表れるものの、少し休むと再び歩くことができるようになるというもので、進行すると短距離を歩いただけでも痛みが生じ、外出が厳しくなるなど日常生活に支障をきたす事態にもなりかねません。

間欠性跛行

しばらく歩くと腰や足に痛みなどが生じるが、しばらく休むとまた普通に歩けるようになるのが特徴

 国内では一般的な治療法を行っても痛みが取れない、痛みが再発する患者さんがほとんで、完治は困難だと言われています。

もしかして脊柱管狭窄症? チェックしよう!
<次回に続く>

コラム

「体は動くんだろ?」社長の一言で本社勤務に

洗車でもいい、働きたい!

 2013年4月に若年性認知症の告知を受けた際、まず頭に浮かんだのは、家族を養っていけるだろうかということでした。当時、娘たちはまだ小中学生。私も30代でしたが、認知症になった社員を会社がこの先も雇い続けてくれるものでしょうか。

 認知症の疑いがあることは、大学病院に検査入院する前に上司には伝えてありました。退院後、会社に何と言えばいいのか悩みましたが、やはり率直に話すしかないと思い、妻と2人で会社に行くことにしました。

 妻とは、「洗車でもいいから働かせてもらおうと思っているんだけど、それでもいいよね」と話し合っていました。

 自動車販売のこの会社でフォルクスワーゲンの担当になってから、10年以上かけて400人まで増やしたお客様も、上司の指示で全て後輩に引き継いでしまっています。そもそも、お客様の名前や顔を忘れてしまうのでは、営業の仕事は勤まらないでしょう。ずっと営業畑で、自動車整備の資格もない私にできるのは洗車くらいだと思ったのです。本来はアルバイトの仕事ですが、「自分にできることなら何でもやって、とにかく働かなくては」という一心でした。

「机を運ぶ仕事もあるから」

 妻の運転で会社に行くと、社長や総務・人事グループの副部長など3人が私たちを待っていました。当時の上司には、すでに診断結果を伝えていたのですが、改めて「検査入院の結果、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました」と、報告しました。

 すると社長は、「そうか。でも体は動くんだろう? だったら戻ってきなさい」と言うのです。洗車の仕事のことをこちらから切り出す間もありませんでした。さらに社長は、「本社なら、いろいろ仕事があるだろう」「机を運ぶ仕事とかもあるから」と続けました。

 机を運ぶ仕事……入社以来、そんな業務を担当している社員は見たことがありません。でも社長はその時、まるでそういう仕事がたくさんあるかのような口ぶりでした。

 副部長は、私の新しい上司として同席していたのだと、やっと合点がいきました。予想外の展開に、最初は言葉を失いましたが、とにかく働き続けることができるのです。しかも本社勤務です。ほっとして、うれしくて、視界が涙でにじみました。

 社長は、「長く働けるようにするから」とも言ってくれました。後で知ったのですが、私に限らず本人に働く意思がある限り、病気になってもなんとか働ける場所を見つけて復帰させるのが社長の考えだったそうです。

 それでも、認知症の社員を雇うのは初めてのことです。私に何をさせればいいのか、何ができるのか。ずいぶん悩んだ末の「戻ってきなさい」という言葉だったのではないかと思いました。

<前回に続く>

生きているうちに「後始末」を

私は夫が亡くなってから、家の中を片付けるのが趣味になりました。ガラガラになった部屋が、いまは子猫の運動場になっています。

夫には本を読む以外に趣味はありませんでしたし、生前から「後始末」を考えていましたから、片付けは楽なものです。世間には「終活」に悩まれている方が多いようですが、モノはどんどん捨てたほうがいい。さしあたり必要な寝間着だけ、残しておけばいいのです。

それと、財産の後始末も忘れてはいけませんね。銀行の通帳を一つにまとめておくとか、亡くなってからくだらないことで揉めないように、準備しておかないと。

夫の介護が長びくかもしれないと思って、私は今年の1月に自前で療養ベッドを買いました。しかし、その新しいベッドが届いた当日、夫は入院してしまいましたので一度も使いませんでした。皮肉なものですね。

今、そのベッドは私が使っていて、そこでマッサージを受けたりしています。脊柱管狭窄症なので、週に一度、麻酔のドクターに注射を打っていただいているんです。

この病気は、手術で治そうとすると、かえって悪化することもあるそうですから、麻酔のような「姑息な手段」だけでいいんです。その日一日を楽に生きられて、死ぬ日まで持てばいい。今さら、根治なんてしなくたっていいでしょう。背中が痛んでも、年をとっているのだから「道具が古くなってきた」と思えばいいじゃないですか。

 

多分、これでよかった

私や夫にある程度死ぬ準備、心構えができていたのは、カトリックの教えを知っていたからだと思います。カトリックは、子どものときからいつも死について考えているんです。

あらゆるものは必ず死ぬ、つまり死を前提に生きている。ですから何歳で亡くなろうとも、死ぬその日まで満ち足りて暮らした、そんな人生が最良なんですね。ですから家族を幸せにすることは大切ですね。その点、夫も最後まで好きなことをした人生でしたから、多分、それでいいんです。

私自身の今後の生活について考えると、やはり体力のある限り「書き続ける」のが自然な気がします。美しいものや素晴らしい人生を生きるだれかを称える「記録者」でいたいのです。

あとは、私は好きなこともありますから、死ぬまで欲を持っていたいですね。欲といっても、きんぴらごぼうを作ってきれいなお皿によそえるような暮らしをしたい、という程度のものですが。

夫は他人に訓戒を垂れる人ではありませんでした。私も何ごとも拒まず、嫌いなものは少し遠ざけて生きられればいい。人生の流れに抗う部分と流される部分を、自分なりに決めて生きられれば、それでいいんです。

これからはなるべく家にものを増やさず、子猫のお母さんとして日々を過ごそうと思います。直助は人間の言葉がわかる猫なんです。

夫の後始末 曽野綾子
曽野綾子(その・あやこ)1931(昭和6)年東京都生まれ。作家。聖心女子大学英文科を卒業後、1954年に「遠来の客たち」で芥川賞候補となり、作家デビュー。『虚構の家』『神の汚れた手』『人間にとって成熟とは何か』など、ベストセラー多数。1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わる。作家の三浦朱門氏とは1953(昭和28)年に結婚。以後、三浦氏が2017年2月3日に逝去するまで63年あまり連れ添う。

『週刊現代』2017年10月14・21日号より

<前回に続く>

何しろ60年以上昔から、私はずっとものを書いてきましたから、本来は書いているほうが楽なはずなんです。物書きというのは一輪車に乗っているようなもので、漕ぎ続けないといけないんですね。だから私は、夫が死んだ日も書いていましたよ。夫の死について書いたのではなくて、翌々日締め切りの原稿を淡々と書いていたんです。

夫の形見で、子猫を買った

夫が亡くなって4ヵ月ほど経ったころ、彼の書棚を整理していたら、折りたたまれた1万円札が12枚出てきました。急に物入りになったときのための、へそくりだったのでしょう。いい加減な人ですから、おカネを置いていたことを忘れていたんでしょうね。

 

最初はこの12万円で、お世話になった方を招いて美味しい中華でも食べようか、なんて考えていました。でもちょうどその日、ホームセンターで一匹の子猫と出会ったんです。スコティッシュフォールドという種類で、一応血統書付きだそうですが、雑種みたいな普通の茶色い猫です。

へそくりで子猫を買ったなんて知ったら、夫は怒ってみせるでしょうけれど、私は案外いい使い途だったんじゃないかと思っています。日本風の名前がいいと思って、「直助」と名付けました。

〈思い出はすべて過去に向いている。しかし家族を見送った後は、残された者はどんな思いを胸に抱いていても、前に歩き出さねばならないのである。それは自由な選択の結果でもなく、義務でもなく、なにか地球の物理的な力学のような感じだ。

家族の誰かが旅立って行く時、残される者はしっかり立って見送らねばならないのだろう。その任務をこんな小さな直助でも助けていたのである〉(『夫の後始末』より)

夫婦は、違っていて当然

私たち夫婦は、60年以上一緒に暮らしてきましたが、趣味も好みも全然違っていました。私が旅行に出かけるときも、夫は「僕は行かない」と言うんですよ。

夫から見ればどうでもいいようなことに、いちいち大げさに反応する私を見て、彼は「バカな女房だ」と、猿でも眺めるみたいに面白がっていたものです。そんなふうに長年過ごしてきましたから、私は、「夫婦は、違っていていっこうに構わない」と思うんです。

ひとつだけ一致していたのは、「食べるのが好き」ということ。夫婦が二人とも食べることに興味がないと、うまくやっていくのは難しいかもしれませんね。

もっとも、私も夫も、グルメというわけではありません。料亭で出されるような上品な日本料理は苦手でした。

昔、(作家の)遠藤周作さんと料亭に招かれたとき、夫が帰りに玄関で靴ひもを結びながら、

「おい遠藤、ラーメン食って帰ろうや」

と大声で店の人に聞こえるように言うんですね(笑)。遠藤さんは「バカ、外に出てから言え」とたしなめていましたけれど。

庭の畑で育てた不格好なほうれん草でも、美味しければ喜んでいました。夫はいつも、「とれたての野菜は美味しいなあ」と言っていました。

<次回に続く>

<前回に続く>

「延命治療は受けない」という了解

夫は「長生きさせなくていいよ」とかねがね言っていました。

私は昔、先ごろ亡くなられた(聖路加国際病院名誉院長の)日野原重明先生から、「終末期にやってはいけない治療」を教わっていました。点滴、胃瘻、気管切開による延命です。

老人がいつまでも点滴で生きられるものではありません。また、気管切開をすると、最期に肉親と会話をする貴重な機会を奪われてしまいます。

 

はっきりと話し合ったわけではありませんでしたが、私と夫の間には「延命治療はしない」という了解があり、他の家族もそれを知っていました。病院で、「最期にどんな治療を希望されますか」と看護師の方に聞かれたときも、息子は「全部拒否しといたよ」と言っていました。輸液は最低限の量だけで、肺炎の治療薬も投与していません。

亡くなる5日ほど前でしたか、看護師の方に、棺に入るときに着る服を用意するように、それとなく言われました。夫は背広が何より嫌いな人でしたから、いつも着ていたベージュのセーターを用意しました。最期も、お気に入りの服を着ているほうがいいと思ったのです。

80歳、90歳になったら、人は自分がどんな服でお棺に入るか決めておくべきでしょう。私自身は、自分が死ぬときに着る服を、もう20年前から準備しています。白い長い南方の服なので、もう黄ばんでいるかもしれませんが、どうせ死んだら見えないのだから構いません。

世間の常識に反しても

通夜もお葬式も、慌てることはありませんでした。朱門の両親を自宅で看取った経験もありましたし、うちはカトリックですから、家で簡素なミサを立てて、家族と本当にお世話になった方が数人だけ来てくだされば、それでよかったんです。

サラリーマンとして働いている人や、組織の中で地位のある方は、お葬式に人を呼ばないわけにもいかないかもしれませんね。ただ幸いにも、夫は3年前に日本芸術院長を退任していましたから、簡素な葬儀でよかったのです。世間の常識に反しても彼と私の好みに従えばいいと決めていました。

夫が入ったお墓は、20年ほど前に夫の両親が亡くなったときに建てました。これも簡単な石碑にラテン語で「神に感謝いたします。私たちの罪をお許しください」と書いてあるだけのものです。

うちのお墓は一族全員が入れるようになっているので、夫の両親と、私の母親も一緒に入っています。いっぱいになったら、古いお骨から地面に返していく。いい仕組みだと思いませんか?

夫の死後、知人から「生活は変わりましたか」とよく尋ねられます。でも、私としては、夫が生きていたころとできるだけ変わらない生活を送るのがいいように思っています

ただ、夫の介護をしていた2年弱の間、私はほとんど家に閉じこもっていました。自分でも気づかないうちに、介護の疲れが日々溜まっていたのでしょう。最近は微熱が取れません。暇があると横になって、テレビを付けてぼうっと『ナショナル・ジオグラフィック』なんかを見ているんです。

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